「血の滝」を見上げて

南極でくらす生き物のふしぎ。国立極地研究所生物圏研究グループの伊村智教授が語る。

ここまで、極限環境下で液体の水を求める「いきもの」たちの姿を紹介してきました。今回はさらにとんでもない環境、南極の氷床の底をご紹介します。

日本の37倍もの面積を持つ南極大陸は、最大で4,000メートル、平均で2,000メートルを超える厚い氷に覆われています。これは、約3,500万年前から始まった南極大陸の寒冷化に伴って、降り積もった雪が融けずに積み重なって氷となり、やがて大陸を覆いつくして氷床となったものです。氷床と大陸基盤岩の境目は、氷がゆっくりと海に向かって流れながら岩盤を削っている場と考えられ、太陽の光も届かないそこに、「いきもの」が存在する余地はないと思われてきました。

ところが近年の観測で、このイメージは完全に覆りました。内陸ではマイナス50度を下回ることもある南極大陸ですが、氷床が断熱材となって氷床の底までその低温は及びません。さらに、地殻内部からは地熱が伝わってきます。いわば、極寒の南極に「氷の布団」を敷いて、床暖房をかけているようなものなのです。このため、氷床と基盤岩の境界は、せいぜいマイナス数度の環境となっています。氷床の底は氷の重さで高い圧力がかかっているため、温度がマイナスでも水は液体でいられます。このような条件から、特に氷の厚い南極大陸内陸部では、氷床と岩盤の境目は氷が融けて水浸しとなっており、場所によっては流れや池さえも存在することがわかってきました。想像してみてください。分厚い南極氷床の底、岩盤との隙間を流れる氷床の融け水が渦を巻き、ところどころに暗いよどみを作っている、高圧で暗黒の世界。そんな所に、はたして「いきもの」は見つかるのでしょうか。

見つかるはずです。なにしろ、最も重要な液体の水はふんだんにあります。あとは、生きてゆくためのエネルギー源さえあればよい。太陽の光が届かない氷床底で得られるエネルギー源として可能性があるのは、熱水噴出を含む地熱の供給や、岩盤に含まれる鉄などの酸化・還元で得られる化学エネルギーです。バクテリアの仲間であれば、そのようなわずかなエネルギーを使って生きられるはずなのです。

氷床の底に広がる世界を知るためには、掘削など大変な作業が必要となります。しかし、その姿を想像するヒントが見つかる場所があります。例えば、南極のドライバレーと呼ばれる地域を流れるテイラー氷河の末端部分では、氷河の底から真っ赤な水が流れ出す現象(通称、血の滝)が知られています。果たしてこれは、何が起こっているのでしょう。(後編に続く)

テイラー氷河末端にみられる「血の滝」

<次回は、2024年6月11日に公開予定です。>

氷の底(後編)はこちらから

伊村智(いむら・さとし)
伊村智(いむら・さとし)

国立極地研究所 副所長 生物圏研究グループ教授。 第36次南極地域観測隊で越冬隊、42次夏隊、45次越冬隊、49次夏隊、64次夏隊、イタリア隊、アメリカ隊、ベルギー隊に参加。49次と64次では総隊長を努めました。 南極の陸上生物、特にコケを扱っています。南極湖沼中の大規模なコケ群落である「コケボウズ」が興味の中心。