「血の滝」を見上げて

南極でくらす生き物のふしぎ。国立極地研究所生物圏研究グループの伊村智教授が語る。

氷河の末端から流れ出す、真っ赤な「血の滝」。この水は、単なる氷河の融け水ではなく、氷河の厚い氷の下にある湖の水だということが分かっています。この湖は、500万年以上前に氷河によって閉じ込められた海水が起源になっていて、無酸素、高塩分の濃縮された湖水が、ときおり押し出されてくるようなのです。ではなぜその水は、赤いのでしょう。

実はこの水は流れ出した瞬間は無色で、空気に触れると一気に真っ赤に変色するのです。自然界のもので、空気に触れて赤くなる、といえば、ピンと来る人がいるかもしれません。そう、これは鉄サビなのです。流れ出した湖水が無色だったということは、氷河の下の湖水には、サビていない(還元状態:酸素と結びついていない状態の)鉄イオンが多量に存在していたということです。サビやすい鉄が還元状態で蓄積しているのはちょっと不自然。その後の調査で、還元状態の鉄の存在にはバクテリアの活動が大きくかかわっていることが判明しました。氷河に閉ざされた、暗黒、無酸素の世界にも、生物はいたのです。

氷河の底の湖沼なので、水はふんだんにあります。ではここに住むバクテリアたちは、エネルギーをどうやって得ているのでしょうか。研究の結果、このバクテリアは、湖水に含まれる硫酸イオンを還元して硫黄を作るときに得られる、ほんのわずかなエネルギーを使って生きていることがわかりました。作られた硫黄は周囲に存在する鉄イオンを還元することで硫酸イオンに戻され、ふたたびエネルギー源として使われます。バクテリアのこの働きで、湖水には多量の還元状態の鉄イオンが溜まっているのでした。「血の滝」が教えてくれたのは、無機物からエネルギーを獲得して生きている、バクテリアの究極の生き方だったのです。

バクテリアのエネルギー獲得方法

話が難しくなってしまいました。要するに生物は水さえあれば、たとえそこが岩の中であれ氷の底であれ、なんとかしてエネルギー源を見つけて生きているということです。エネルギー源として我々がイメージする太陽の光は、一つの例にすぎません。今回紹介した氷河の底の池のバクテリアに至っては、地球を食べていると言っても過言ではありません。

伊村智(いむら・さとし)
伊村智(いむら・さとし)
国立極地研究所 副所長 生物圏研究グループ教授。
第36次南極地域観測隊で越冬隊、42次夏隊、45次越冬隊、49次夏隊、64次夏隊、イタリア隊、アメリカ隊、ベルギー隊に参加。49次と64次では総隊長を努めました。
南極の陸上生物、特にコケを扱っています。南極湖沼中の大規模なコケ群落である「コケボウズ」が興味の中心。