南極・ボツンヌーテン東麓からリュツォ・ホルム湾・宗谷海岸方面をみる。水平線上にかすかに見える高まりはスカルブスネスの露岩。両地点の位置関係や距離は、国土地理院による南極観測の集大成である「地理院地図(https://maps.gsi.go.jp)」TOPページの左上「地図」アイコン>「その他」>「南極」>南極の地理空間情報で確認できる。

南極という場所で、さまざまな「測る」人たちと出会ってきた、三浦英樹・元国立極地研究所広報室長が、それらの記憶を綴る。

はじめて南極観測隊に参加して帰国した直後、大学院時代の指導教員から南極の感想を尋ねられた。「何をやるにも効率が悪いところでした」とお答えしたところ、先生は「それはきみにぴったりだね」とおっしゃった。日頃の自分の仕事の遅さを反省しつつ、このとき、なぜか不思議に、誇らしく思えたことをおぼえている。

1995年当時、南極観測隊は全員、船で東京の晴海埠頭を出発し、赤道を越えて、南極の昭和基地までの約14,000キロメートルの距離に片道2ヶ月近く費やしていた。「海里」という単位が、地球の360分の1の緯度1度のさらに60分の1の緯度1分の長さ(=1,852メートル)で、船の速度の単位が「ノット」(1時間に1海里進む速さ)、南極観測船「しらせ」の最高速度は時速19ノット(約35キロメートル=原付バイクくらいの速度)ということも詳しく知った。船旅は、窓外に展開する地球の自然を体感させてくれた。

自分が調査した南極のリュツォ・ホルム湾露岩の調査範囲を日本国内の地勢図と比較すると、その範囲は関東平野の中に収まる狭い地域でしかない。地形や第四紀という新しい地質時代の自然史を研究課題としてきたわたしは、自分が調査した地点は、広大な南極大陸にとって、どれほど代表性がある場所なのかを考えさせられた。同じ縮尺の地図でも、土地の成り立ちや環境の違いに由来して、日本列島でみえることも、南極ではよくみえないことや、その逆もあることを知った。

何かを「測る」とき(ここでは「知る」ということと同義かもしれない)、対象とするものが人間のスケールに比べて、あまりにも大きかったり、小さかったりすると、「測る」作業は容易でなく、実感からもどんどんとおくなる。人間の寿命である時間に比べて、とても長い現象や一瞬の短い現象についても同様である。宇宙や地球、生命の現象とそれらの歴史はその代表的なものであろう。南極に行くまで、部屋で地球儀を眺めたり、数値としての地球を知っていても、その形や大きさ、構成物質や環境の違いを実感することはなかった。

その後、あのときの「効率が悪い」の中には、次のような意味を含んでいたのだと考えるようになった。それは、時間をかけて苦労しながら自分自身で体感して「測る」ことで「知る」実感を味わえる場所。大量の既存データを室内で加工するだけでは見落としてしまいそうなことに気づける場所。思い通りに進まないことによって、自然に対する人間の過信を気づかせてくれる場所。それが南極なのではないかということである。南極は、やはり行った人でなければわからない場所なのだと。

<次回は、2024年4月2日に公開予定です>

三浦英樹(みうら・ひでき)
三浦英樹(みうら・ひでき)

1965年北海道生まれ。青森公立大学 経営経済学部 地域みらい学科教授。国立極地研究所の元広報室長。専門は地理学、地形地質学、第四紀学。最近は、青森県を中心とした東北地方の自然と人の歴史を、学生と一緒に歩いて観て考えることを楽しみにしている。