ルンドボークスヘッタ丸湾大池の縁に現れる片麻岩の片理構造(シマシマ!)

南極地域観測隊の広報として、自身の持ち味を活かし、読んでくれた人の心に残る記事を書きたい——。丹保俊哉・第65次南極地域観測隊広報隊員は、南極での4ヶ月間、広報として「観測隊ブログ」を日本へ届けることに奮闘してきました。発見、驚き、そしてちょっとした苦労話。伝えたいことは山ほどあるのに、記事にできなかったこと、書ききれなかったことばかり。当時伝えきれなかった南極の情景を、赤裸々な心理描写を交えて、振り返ります。

私が南極での広報活動で最も楽しみにしていたのが南極大陸露岩域での野外調査同行取材でした。連載第4回目ではその露岩域の様子についてお伝えいたします。

南極大陸は約1,400万平方キロメートルという日本の国土(約37.8万平方キロメートル)の約37倍もの面積がありながら、その約98%が雪や氷に覆われていて、陸地が露出しているのは日本の国土よりも狭い範囲しかないという、極地だけに極端な特徴をしています。そしてその貴重な陸地表面のほとんどで大陸の岩盤そのものが直接露出しているので、露岩域という呼び方をするのです。

土壌に乏しい極地

私たちが住み慣れた日本の国土では海岸や峡谷、高山などを除き多くの地理地形において地表面は砂礫や粘土、そして動植物の遺骸に由来する有機物などを成分とした土壌やそこに根を下ろす植生に覆われています。しかし南極の大地にはその土壌がほとんど発達していません。とはいえ多少の土壌は東オングル島を含む昭和基地周辺の大陸露岩域にも存在しています。昭和基地周辺の土壌は、いくつかの過程によって生産されたと考えられています。たとえば、氷河が今よりも発達していた過去に、露岩を氷河が削剥(さくはく)して生じた氷河堆積物がその一例です。また、岩石の割れ目に染みこんだ水が凍結膨張し、岩石を砕く風化作用によっても土壌が生み出されます。

しかし、土壌の大部分は氷河の運搬作用で直接海まで出てしまっていたり、南極大陸の奥地から吹き下ろしてくる強いカタバ風によってやはり海洋へと運ばれてしまったりします。そのため私が広報隊員として活動した範囲では、アムンゼン湾のリーセルラルセン山周辺を除いて土壌が地表を広範囲に覆った様子に気付くことはありませんでした。

またケッペンの気候区分において氷雪気候に分類される南極では、植生が未発達で微生物の活動も極めて限定的な環境のため、有機的な土壌の形成はほぼないに等しく、土壌は角ばった大小の岩石片や鉱物粒子の集合に過ぎず、触るとザラザラとしていています。乾燥した南極の環境とカタバ風によって細かな鉱物片がすぐに舞い飛び、しばしば目に入って涙や鼻水が止まらなくなり閉口したものです。南極の露岩域は、岩盤とその上に転がる迷子石や砂礫の土壌が薄く点在する寒冷砂漠という環境なのです。

昭和基地露岩域の白華現象。東オングル島内の踏査中、所々の岩石や土砂の表面に白い塩のようなものが付着していることに気づきました(左写真)。表土上の礫の外周にも浮き出すように付着しています(右写真)。風化作用の一種、白華現象(塩類風化)でしょうか。少量を指で拭って舐めてみると、塩化カリウムのような苦みを伴った塩味がありました(鉱物には有毒なものもあるので皆さんは見かけても真似しないでくださいね)。同様の様子は大陸露岩域でもしばしば観察されました。恒常的に氷点下の露岩域の場合、土壌の生産はこうした塩類風化やカタバ風の風食によるものが主流なのかもしれません。(2023/12/21)
砂礫(されき)が集まっているところを接写してみました(2023/12/21)。小礫(しょうれき)を含む角張った鉱物片が多い印象で、それらの多くが物理風化で生産されているんだろうなと独りごちていました。中心あたりで強く光を反射させているのは黒雲母です。片麻岩の片理構造から鱗片状に薄く剥がれ落ちた黒雲母が砂礫にいっぱい入っていて、晴れた昭和基地の道を歩いているとキラキラと照り返し存在を大いに主張していました。
スカルブスネス鳥の巣湾にて。アデリーペンギンのルッカリーの外れにヒナのいない巣がぽつんとひとつありました。トウカモ(ナンキョクオオトウゾクカモメ)の襲来で、育てるヒナがいなくなり放棄されたものでしょうか。巣材には小礫が使われています。巣作りの頃には小礫を奪い合う程のようで周囲の地表面はきれいサッパリ、露岩を薄く覆う砂ばかりです。露岩域の土壌の貧弱さがよく分かります。(2024/1/11)

すごいぞ露岩域!

65次隊夏隊の広報隊員として、私は大陸露岩域のうち5箇所を訪れることができました。次の地図と写真では、そのうちの宗谷海岸での取材活動を表します。基図として地理院地図を使用しました。

広報隊員の野外取材地図。

地図でお分かりの通り、露岩域の多くは南極氷床の末端から這い出たように辛うじて顔だけを覗かせているような状態で、氷のベールで覆われた南極大陸の地史を知るためにはとても貴重な地域です。先述したように露岩域は砂漠そのものの景観ですが、私はその光景に厳しい荒野をイメージすることはなく、むしろ強い感動を持って観望しました。南極大陸でも貴重なその大地に立ち、さらにその地質を直に観察する機会を私は待ち望んでいたからです。というのも、広く土壌で覆われた日本の国土とは違って、岩盤が直接地表面として露出している大陸露岩域の一目瞭然な地質をこの目で見てみたかったからなのです。

皆さんは地質図と呼ばれる地図をご覧になったことはあるでしょうか。地質図とは、地表に現れている植生や建造物、土壌などを無視して、その下にある地層や岩石の種類、分布、構造などがどのように分布しているかを示した地図です。例えば産業技術総合研究所地質調査総合センターのウェブサイトで日本全土の縮尺20万分の1の地質図を誰でも閲覧することができます。実際に地表に露出していない地下の地質をどうやって調べて地図にしているかというと、地質や岩石の研究者が野山を歩きながら流水によって表土が剥ぎ取られているような谷筋や沢筋、あるいは崩壊地などを探しだし、露わになった場所の地質を丹念に調査しては一般的な地形図上に少しずつ書き加え、そうした幾つもの地点の情報として明らかになった地質を更に地質学の知見に基づいて点の間を補完させることでやっと完成するのです。こうした深い知識と地道な作業を長い期間かけてひたむきに実行することで、本来は知ることの難しい地表の下に隠れている地質を露わにすることができるのです。

ルンドボークスヘッタのシマシマ模様。引いてもシマシマ(左空撮写真、 2023/12/26)、寄ってもシマシマ、ついでに氷床もシマシマ(右写真、 2023/12/29)。岩盤(片麻岩)に現れているシマシマ模様は、地下深くで強い圧縮力と高い温度を受けた堆積物や岩石が変形、変成して生じた片理という構造で、6~5億年前頃に大陸同士が衝突、合体したという大変な出来事を指し示す証拠なのです。
ラングホブデのぬるめ池ほとりから見えた対岸の片麻岩のシマシマ模様(2024/2/5)。広報活動で訪れたいずれの露岩域もシマシマ模様が発達していましたが、カラフルでコントラストが良く、より美しいと思えた縞模様はここラングホブデとルンドボークスヘッタの露岩域でした。

私は本来の職種である博物館の学芸員として地質図を常用してきましたが、私自身は地質学の深い知見を持ち合わせていないので、多くの労力と長い年月をかけて作成された地質図には深い敬意をもって接してきました。しかし!、植生や土壌層の下に隠れた地質は地質図を通さないと知ることができないという日本の常識は南極の露岩域では気にする必要はなく、それは白日の下に晒されているのです。「すごいぞ露岩域!!」とワクワクして露岩域を訪れた広報隊員でしたが、適当な岩石や鉱物の知識しか持っていなかったが故に、コレなんだろうなぁとか、どうしてこうなったんだろう大陸衝突スゲーなぁとか、いつもの妄想を深める程度でしかなかったのはここだけの秘密にしてください。あ、もちろん大陸露岩域の地質図もちゃんと作成されていますよ(第5回に続く)。

ルンドボークスヘッタにて、片麻岩の表面を接写しました。比較的風化に強いためか、大きな赤いザクロ石がボツボツと浮き出ていてその場に腰を下ろすと痛いくらいに主張します。思わず「これ、大根おろせる」とつぶやいたところ、同行取材していた海氷チームの同意が得られました。(2023/12/26)
二番東岩にて。ウネウネ波模様のきれいな褶曲をみせていた片麻岩の露頭。デスクトップの背景画像にいかがでしょうか。(2024/1/8)

【連載】伝えたい極地の姿・形(全5回)

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丹保俊哉
丹保俊哉
富山県立山カルデラ砂防博物館の学芸員として立山連峰の地震や火山活動などの調査をおこないながら、山地の成長とともに発達した地形の生態系や地域社会との関わりを紐説いて、立山の魅力と脅威を平易に普及啓発することに取り組んでいる。色々な地形をみてその成り立ちを妄想するのが好き。第65次南極地域観測隊広報隊員。ぼっち気質のため、南極では昭和基地よりも露岩域の方が過ごしやすかった。