スカレビークスハルセン:初めて参加した第23次南極地域観測隊(1981-1983)で調査した、南極・昭和基地から南に約70kmの露岩。スリランカと共通の岩石がたくさん見つかった。

スカレビークスハルセン:初めて参加した第23次南極地域観測隊(1981-1982)で調査した、南極・昭和基地から南に約70kmの露岩。

南極の地質屋稼業とは。それは自ら現場に赴き、現場検証そして連行すること。そこに岩石がある限り。

ゴンドワナ・・・約2億年前まで地球に存在した超大陸である。当時、アフリカ、南米、オーストラリア、インド、マダガスカルなどとともに南極大陸もゴンドワナの一員であった。

ゴンドワナ大陸復元図(『南極科学館(国立極地研究所編)』古今書院.の図に加筆)。

このゴンドワナが分裂を開始し、お隣同志だった大地が引き裂かれ、生き別れとなって今の大陸の配置となった。実は南極・昭和基地付近の岩石も、その生き別れを経験している。相方はスリランカ。南極やスリランカが、昔のお隣さんにもう一度会わせてくれと懇願したわけではないが、お節介な地質屋がその橋渡しを買って出た。

今離れ離れになっている大地をつなぎ合わせるには、それぞれの地層や岩石を調べ、共通項を探せばよい。同じ化石が出た、同じ鉱物が出た、石の種類や年代が同じだった等々、両者に共通する証拠がたくさん見つかれば、信憑性はより高くなる。もう30年以上前の話で恐縮だが、南極で調査を経験した地質屋がチームを組み、何回かに分けてスリランカに足を運んだ。片や極寒の地、片や赤道直下の常夏の国・・・気候も調査スタイルも全く違うが、我々地質屋のすることはただひとつ。石の出ている場所に出向いてその種類や特徴を調べ、サンプルを持ち帰る、ということ。

1983年からスリランカでは内戦が勃発し2009年まで続いた。この間、1988年から現地調査を開始した我々も大きな制約を受けた。朝、ホテルの窓から外を見ると、人っ子一人歩いていないし車も走っていない。戒厳令が敷かれているのだ。戒厳令が解かれるまで、我々もホテルに缶詰だ。また調査地に向かう途中、バスが反政府ゲリラに焼き討ちされた場面に遭遇したり、調査中に政府軍兵士に機関銃を向けられたり・・・今思い出しても冷や汗が出る。寒いけど、南極の方がよっぽど気楽に調査ができる、と何度思ったことか。

それでもスリランカの地質屋と協力しながらなんとか無事に調査を終え、持ち帰ったサンプルから次々に南極と共通するデータが出た。一番泥臭く、しかし分かりやすい方法で、隣人である南極とスリランカを引き合わせることができた。

スリランカと南極で共通する岩石。左側がスリランカ、右側が南極。
上段:コンダライト(Khondalite)という岩石の露出。コンダライトとは、大きなざくろ石の結晶と、石英、珪線石、スピネル、カリ長石、石墨などからなる片麻岩の一種で、インド南部、スリランカ、マダガスカルなどに分布。南極・昭和基地付近でも見つかっている。スリランカ産、南極産ともに同じ種類の鉱物を含み、岩石としての特徴はほぼ同じ。
下段:チャーノカイト(Charnockite)という岩石の露出。チャーノカイトは、ゴンドワナ大陸に広く分布する代表的な岩石。写真で色の濃い部分がチャーノカイトで、周囲の片麻岩からチャーノカイトが局所的に形成されている状態を示している。

<次回は、2024年9月10日に公開予定です。>

本吉洋一(もとよし・よういち)
本吉洋一(もとよし・よういち)
1954年千葉県生まれ。国立極地研究所名誉教授。南極暦は第23次隊(1981-82)を皮切りに合計11回参加。第42次、第51次、第58次では観測隊長を務める。専門は地質学。南極をはじめ、スリランカ、インド、南アフリカ、オーストラリア、カナダなど、主に大陸地域の地質や岩石の研究に従事。