
昭和基地で進む、「南極建築」の挑戦──南極で建物を建てるには?
70年の歴史が積み上がる、日本の南極建築 南極における建築で一番大切なことは、輸送条件によって建築規模が決まるということです。建築資材は南極観測船「しらせ」で運ばれ、昭和基地の接岸地点まで届けられますが、「しらせ」に積載…
60年以上続くモニタリング観測 ―昭和基地ではどのような観測がおこなわれているのですか? 昭和基地では、期間を定めて集中的におこなわれる研究観測だけでなく、地球や南極で起きる自然現象を、定点で長期間にわたってモニタリング…
70年の歴史が積み上がる、日本の南極建築 南極における建築で一番大切なことは、輸送条件によって建築規模が決まるということです。建築資材は南極観測船「しらせ」で運ばれ、昭和基地の接岸地点まで届けられますが、「しらせ」に積載…
山岳ガイドから越冬隊の隊長へ ―どのような経歴で越冬隊に? 北海道で山岳ガイドをしていました。年間200日くらいお客さんを連れて山に行っていたんですね。ガイドの仕事はやりがいもありましたし楽しかったのですが、山岳ガイドの…
〈話者〉 岡田雅樹(おかだ・まさき)国立極地研究所 情報基盤センター長、宙空圏研究グループ教授。49次越冬隊員、55次夏隊員、58次越冬隊長として南極観測に参加し、磁気圏プラズマ物理学を中心として、オーロラ観測をはじめ、…
マイナス32.6度 1997年1月16日、マイナス32.6度、晴れ、5m/s。ドームふじ基地に到着して雪上車の外に出た瞬間、気温の低さに緊張しました。「大変なところに来てしまった」と。今見返すと前日の気温はもっと低かった…
スプートニク、人工衛星の発展と重なる人生 1957年10月4日、旧ソ連が世界で初めての人工衛星スプートニクを打ち上げ、宇宙時代の幕開けとなりました。同じ日、奇しくも私もこの世に生を受け、人工衛星の歴史と人生が重なることに…
コンピュータの教員が南極に? 2021年10月、僕は第63次南極地域観測隊の同行者(教員派遣枠)として南極観測に加わる機会を得ました。「教員派遣プログラム」は2009年から始まり、すでに長い歴史がありますが、「情報科」の…
「お金がいくらかかってもいいなら、ペンギンで何がしたい?」 4年前、入学前の打ち合わせで、現在の指導教員に言われたことです。「うわっ、試されているな」と思いましたが、同時に、ここに入学したいという思いが芽生えたのを憶えて…