人工衛星の画像から地球を見ると「地球」という惑星探査に挑んでいることが感じられる。白く平らで広大な氷床の雪面下に潜む、謎のまだら模様は何か。その下はどうなっているのか。リモートセンシング技術を使って世界中を巡った雪と氷の研究をご紹介します。
スプートニク、人工衛星の発展と重なる人生
1957年10月4日、旧ソ連が世界で初めての人工衛星スプートニクを打ち上げ、宇宙時代の幕開けとなりました。同じ日、奇しくも私もこの世に生を受け、人工衛星の歴史と人生が重なることになりました。離れたところから対象の物に触れずに測定するリモートセンシング技術とのかかわりを連載で紹介します。
中谷宇吉郎の本などを読んで、雪と氷の科学探求の世界を知ったことがこの分野に入ったきっかけです。進学先の北海道大学では過去の気候を探る雪氷試料分析、大学院修士課程では現在起きている氷河の変化やその環境にかかわる気象データの解析、そして博士課程でリモートセンシングデータを利用して海氷研究を行いました。北見工大に就職後は、観測手法やセンサー開発など新たな技術を考えるリモートセンシング工学に出会いました。 北大時代は雪山登山やスキーなどに熱中し、海外登山の研究会を作り、アルバイトで資金を貯めてパタゴニアの山にも行くような学生でした。当時、踏破を目指していた南米南端のパタゴニアの氷河は人跡未踏の地域で、山の存在さえもはっきりしない状況で、登山に使える地図もありませんでした。その時入手にしたのがアメリカの地球観測衛星(LANDSAT)の衛星画像でした。自分が行こうとする山域の衛星画像を持って未知の雪山地域を歩きました。人工衛星データ画像はまだまだとても貴重な時代で、60㎞四方写っている衛星画像1枚が数十万円しました。雪原に見える陰影から、山の存在を予想しました。

信頼できる観測データを求めて
もっと雪氷研究にかかわりたいとの思いから、目の前にアルプスが広がるスイス連邦工科大学に留学しました。ここではちょうど公開されたばかりの南極の海氷分布の人工衛星観測データを利用して研究を進めました。当時、人工衛星画像は、今のように簡単に取得できませんでしたが、農業、土地利用、資源探査などさまざまな分野で広く利用され始めていました。しかし、海や雲、雪や海氷の情報などはまだまだ間違った分類もあり、信頼性に欠けるものでした。微弱なマイクロ波を捉えるリモートセンシング研究を本格的に始めたのは、より正確な雪氷情報を生み出すことに関心を持ったからでした。とりわけ、マイクロ波は太陽光を必要とせず、極夜が続く冬でも、また雲や霧で地表が覆われている悪天候でも地表観測が可能です。うまく波長を選べば海氷の広がり方、さらに表面だけでなく雪の層や底面の地面の状況、氷河氷床の深い所まで探査できます。スイスから帰国して北見工大に職を得てからこのマイクロ波放射計のアルゴリズム改良や情報処理の方法を研究していました。
北見では、雪の積もった大学のグラウンドはもちろん、周りの田園地帯、近郊の流氷で覆われたオホーツク海や凍結したサロマ湖、山岳域や冬期道路も貴重な観測や実験場所となります。サロマ湖を同じ日に4機の人工衛星が観測し、それに合わせて4機の航空機が湖の上空を飛び、さらに湖面上には観測グループが展開する集中観測もありました。このときマイクロ波放射計は人工衛星や航空機に積まれていましたが、現場観測者は狙った対象を狙った時刻に見るだけでなく、手元でじっくり変化している様子を見たいものです。衛星観測装置を開発している企業に相談し、人工衛星に搭載しているマイクロ波放射計のセンサーを小型にして持ち運べる小型機器を製作しました。マイクロ波は物体を透過するので積雪中、地中、暗闇や霧、煙の中での物体や人の探査技術は、北見周辺での冬期の積雪、海氷、凍結路面観測に応用されました。持ち運べる観測装置は、私たちが世界のどこでも出かけるときに携えられる強力なツールになりました。

左:北海道母子里の観測タワー。マイクロ波放射計を背中に担いで昇る
右上:大学内実験
右下:衛星が示すデータは正しいか? 厳冬期のアラスカの森林での地上調査

- 榎本浩之(えのもと・ひろゆき)
- 国立極地研究所副所長、北極観測センター特任教授。専門分野は雪氷学、気象学、リモートセンシング工学。1983年に北海道大学工学部を卒業後、筑波大学で修士号(環境科学)、スイス連邦チューリヒ工科大学で博士号(自然科学)を取得。国際北極科学委員会の Vice-President(副議長)も務めている。