第51次南極地域観測隊(2009〜10年)参加時。初めて南極観測に参加した隊員と地形地質調査に向かう際の様子。

南極という場所で、さまざまな「測る」人たちと出会ってきた、三浦英樹・元国立極地研究所広報室長が、それらの記憶を綴る。

純粋な好奇心のほかにも、名誉や功名心といったものは、研究者が仕事を進める原動力になっているのも事実である。しかし、ときどき、そういったある一線を越えた、別次元の人たちに出会うのも極地研究の面白いところだ。日常とは異なる極地での異質な体験を経て、科学のあり方、自然と人間の関係、地球における人間の尊厳とは何かなど、より本質的な問題について考える人は少なからず多いように思う。これらの人々からは、どこか、自然と人間に対する諦観(その意味は、「全体を見通して、 事の本質を見きわめること」(大辞林)、「明らかに真理を観察すること」(広辞苑))を感じる。寺田寅彦*9の次の見方は、そのような人々の感覚に通じるものがある。

頭のいい、ことに年少気鋭の科学者が科学者としては立派な科学者でも、時として陥る一つの錯覚がある。それは、科学が人間の知恵のすべてであるもののように考えることである。科学は孔子のいわゆる「格物」の学であって「致知」の一部に過ぎない。しかるに現在の科学の国土はまだウパニシャドや老子やソクラテスの世界との通路を一筋でももっていない。芭蕉や広重の世界にも手を出す手がかりをもっていない。そういう別の世界の存在はしかし人間の事実である。理屈ではない。そういう事実を無視して、科学ばかりが学のように思い誤り思いあがるのは、その人が科学者であるには妨げないとしても、認識の人であるためには少なからざる障害となるであろう。
出典:寺田寅彦(1963)「科学者とあたま」『寺田寅彦随筆集 4』小宮豊隆編 P.206-207

基礎科学の面白さやそれを継続していく重要性はいうまでもないのだが、人類史の中で、現代は「科学のための科学」を行うだけでは、すまない時代にもなってきたようだ。「死にゆく地球」の将来像をただ予測するだけでなく、「生き残るための地球」を考えるために、人間や広義の科学には何ができるのか。従来の狭い自然科学の範疇(はんちゅう)を超えた考え方や生き方が求められている。
極地の研究では、いつも地球全体を視野に入れて考えざるを得ない。科学研究は、その時々に応じて、ある目的に方向付けられたものでなければならないが、それがどこかで行き詰まりを見せ、新たな視点を探し出さなけなければならないとき、極地の研究は重要な示唆を与えるような気がしているのは私だけであろうか。私には、次第に、人類との関係で極地や地球を考える姿勢や精神も “Polarmanship” の新たな一面になっていると思えるようになってきた。

氷河地形地質調査のために、ボツンヌーテン東峰を登攀する南極観測隊員。先に登った若い隊員が、後続の年寄りの隊員の様子を心配しながら見守っている。

さて、“Polarmanship” とは何か? いま、ここでそれを明確に定義する必要はないのかもしれない。それは、極地研究に携わっていく、次の新しい世代の人々の新鮮な思考や経験の中から育まれ、次々と変化していくものなのだから。

*9 日本の物理学者(1878-1935)

三浦英樹(みうら・ひでき)
三浦英樹(みうら・ひでき)

1965年北海道生まれ。青森公立大学 経営経済学部 地域みらい学科教授。国立極地研究所の元広報室長。専門は地理学、地形地質学、第四紀学。最近は、青森県を中心とした東北地方の自然と人の歴史を、学生と一緒に歩いて観て考えることを楽しみにしている。