ラジオゾンデの放球作業風景

南極という場所で、さまざまな「測る」人たちと出会ってきた、三浦英樹・元国立極地研究所広報室長が、それらの記憶を綴る。

若いときは、いつも自分が中心で、人生が、いろいろな人のお陰で成り立っていることなどには、まったく気づいていなかった。南極でもそうだった。南極には何度か来ていたが、越冬隊長をやるまでは、自分自身の狭い研究課題について考えるのが精一杯で、観測隊や基地がどのように成り立っていて、さまざまな観測データがどのように得られ、その背後で、どのような人たちの努力や苦労があるのかについて、恥ずかしながら、ほとんど理解していなかった。今以上に、世の中が見えていなかった。

世界の気象機関では、ラジオゾンデ*1と呼ばれる測器をゴム気球につるして放球し、上空約30キロメートルまでの気圧、気温、湿度、風向、風速等を観測している。この観測結果は、日々の天気予報や地球規模の気候変動研究に不可欠なものであり、世界中の約800地点で毎日同じ時間(協定世界時(イギリス)の0時と12時)に実施されている。この観測は、昭和基地でも行われており、気象庁に所属する気象隊員5名が毎日交代で、深夜の3時と昼間の15時(昭和基地時間:イギリスとは時差がある)に放球を行っている。当然ながら、南極では、ブリザードのような、強風で視界不良の日も容赦なく訪れるので、そんな日は、放球も非常に危険が伴う作業となる。


生来、いいかげんで物事の奥底を深く考えない私は、越冬隊長として、越冬開始直後に、「天気が悪い日の深夜の放球作業は、危ないので、できるだけやめませんか?」と、まったくお気楽な感じで提案したことがあった。このとき、気象隊員のチーフは、気象メンバーの総意を代表するように、次のようなことを教えてくれた。「気象データというものは、晴れた穏やかなときのデータだけを集めてもだめなんです。悪い天気の時にこそ、上空はどうなっているのかを知らなければ、得られたデータが全体として偏ってしまうので、本当の自然に近い状態はわからないんです。だから、可能な限り、欠測が出ないように、天気が悪い日であっても放球作業をさせて欲しいのです。」この言葉をきいて、はっとさせられた。安易に規則に縛って責任から逃れて楽をしようとしていた自分が情けなくなった。その後、実施の可否判断は、気象のプロに任せることで、安全な高層気象観測が越冬終了まで完璧に遂行され、ベストを尽くしたデータが得られた(昭和基地の高層気象観測のデータは気象庁のサイトから見ることができる)。

悪天時における昭和基地の高層気象観測のためのラジオゾンデの放球作業風景。

ある隊員は、早朝や深夜のおかしな時間によく外出しており、不思議に思うことがあった。彼は、たくさん抱えている観測項目の仕事のひとつとして、大気中の温室効果気体*2のサンプリングを担当している隊員だった。2016年には、「昭和基地の大気中CO2濃度が400ppmを突破」というニュースがあったが、このデータを作るために必要なのが昭和基地の空気のサンプリングである。


空気がきれいな南極なので、いつ、どこでサンプリングしても、空気の質にそう大きな違いはないんじゃないのと専門外の私は思っていた。しかし、少ないながらも人が住む昭和基地周辺では、発電機や雪上車の排気ガスなど、どうしても大気の成分には生活の影響が出てしまう。そのため、できるだけ自然状態に近いきれいな空気をサンプリングするためには、人間活動が少なく、しかもその影響が少ない大陸側から風が吹いてくるわずかなチャンスを狙う必要がある。彼は、日夜、昭和基地の風向をチエックして、できるだけ汚染が少ないと思われる空気をサンプリングすることに1日中、神経を集中していたのだった。


こうして得られた、1人の越冬隊員の1年間のサンプリングの分析結果は、これまでの長い観測期間から見れば、このの中のほんのわずかな範囲でしか表現されない。だから、1回くらい、適当なサンプリングをやっても誰にもわからないかも知れないし、長期間のデータの大勢にも大きな影響はないようにみえる。しかし、手を抜かずに、その時々の最高の空気をサンプリングしようとしてきた歴代隊員たちの長期間の地道な努力の積み重ねが、この図に圧倒的な重みとして現れているのだ。図に「重み」を感じることができる経験となった。

ある日、大きなザブリザードが去ったあと、空気をサンプリングするための観測タワーが倒壊していることがわかった。簡単には復旧できないほどひどい状況だったので、正直、これで空気のサンプリングは当面無理だなと私はすぐに諦めていた。ところが、隊員の日々のサンプリングに対する真摯な姿勢を知る設営系の隊員たちは、抱えている自分たちの仕事を残業時間に回し、総出で知恵を絞って懸命の復旧作業を行い、倒壊したタワーを、何とその日のうちに再建してしまった。長期間のデータの欠測は避けられた。この日は、税金を使って得られている観測データに対して、基地設備を支える設営系隊員たちも強いリスペクトと自負を持っているのだということを改めて実感した印象深い日ともなった。

地球温暖化の予測とその影響の評価は、社会的にも喫緊の課題であり、現在、もっとも注目を集める話題である。これに関連した多くの解釈やモデル研究が国際的にも精力的に進められている。ただし、これらの研究の大前提として、できる限り、地球上の広い範囲で正確に実態を把握することがいまも継続して求められている。そして、当たり前のことではあるが、観測現場で得られた基本データは、できるだけ事実に近いものであり、信頼に足るものでなければならない。


こういった科学研究の根幹を支えている誠実な科学者・技術者の「測る」現場における地味で地道な苦労は、どうしても派手な研究の陰に隠れがちになる。我が身を恥じることの多い越冬生活であったが、より真実に近い数値を測るための隊員の日々の努力を目の当たりにでき、そんな人たちと一緒に暮らしながら、科学を支える数字の裏に隠されているものの重みを知り得たことは、その後の自分の価値観と世の中の見方への変化をもたらす貴重な財産となった。これは、一研究者であっただけならば、気づくことはなかったかもしれない。

*1 ラジオゾンデによる高層気象観測については、気象庁ウェブサイトをご覧ください。
*2 温室効果気体の説明については、気象庁ウェブサイトをご覧ください。 

気象観測や大気微量気体観測のほかにも南極観測で行われている基本観測(定常観測とモニタリング観測)はさまざまなものがあり、学術研究や社会を支えるための基本データとして活用されている。定常観測の概要は、国立極地研究所の南極観測のホームページで知ることができる。

<次回は、2024年5月28日に公開予定です。>

三浦英樹(みうら・ひでき)
三浦英樹(みうら・ひでき)

1965年北海道生まれ。青森公立大学 経営経済学部 地域みらい学科教授。国立極地研究所の元広報室長。専門は地理学、地形地質学、第四紀学。最近は、青森県を中心とした東北地方の自然と人の歴史を、学生と一緒に歩いて観て考えることを楽しみにしている。