雲の上に広がる世界はどうなっているのでしょうか。昔から、研究者たちは気球を「飛ばす」ことで、大気の流れや温度などを調査してきました。南極では長期間にわたって観測をおこなうことができる「スーパープレッシャー気球」を飛ばすチャレンジがおこなわれています。宙空圏研究グループの冨川喜弘准教授に、気球を飛ばすことでわかることについて解説していただきました。
- 冨川喜弘(とみかわ・よしひろ)
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先端研究推進系宙空圏研究グループ 准教授。総合研究大学院大学 准教授(兼任)。2003年、東京大学大学院 理学系研究科 地球惑星科学専攻修了。博士(理学)。専門は大気波動。第54次南極観測隊員として昭和基地で越冬し、初めて成層圏の高精度水蒸気観測に成功した。
歴史ある気球観測
ー南極では気球を飛ばして観測をおこなっているそうですね。
私の研究対象は対流圏と成層圏の境目の地上から10キロメートルあたりにある対流圏界面から中間圏(高度50~90キロメートル)くらいまでの中層大気と呼ばれる領域です。飛行機や人が直接行くことができない場所のため、主に光や電波を使うリモートセンシングという技術で調べています。また人は行けませんが、気球やロケットに載せた観測装置なら中層大気を直接観測することができます。私は学部生の頃からずっと気球を使っています。
ー気球観測の歴史は長いのですか?
そうですね。もともと成層圏が発見されたのが1902年のことです。当時のフランスの気象学者が、15キロメートルくらいまで温度計をつけて気球を飛ばし観測しました。上に行くほど温度は下がっていくはずなのに、10キロメートルを越えたあたりから急に温度が下がらなくなることがわかり、それより上を成層圏と呼ぶことになりました。それから100年以上、気球観測はおこなわれてきたのです。
ー観測装置を使って何を調べているのですか?
気象庁が毎日、南極の昭和基地を含め全国各地でおこなっているのが、ラジオゾンデ観測です。そこで測っているのは気圧・気温・湿度・風速です。また、空気中に含まれるオゾンの量を測定するオゾンゾンデ観測や、成層圏の濃度の低い水蒸気を調べる水蒸気ゾンデ観測といった手法を使い、さまざまな大気の情報を調べることができます。気球は1秒に5メートル程度上昇していきます。より細かい間隔で気温を測って大気の乱流を調べる手法、エアロゾルと呼ばれる大気中の微粒子を調べるための手法など、気球を使った観測で色々なことがわかります。
強風時のゾンデ放球の様子。気球観測には、100年以上の歴史がある。
ー気球が上昇する時に観測しているのですか?
基本的には揚がっていくタイミングで測定しています。しかし、65次隊の夏隊では海外の研究者たちが同行していたのですが、彼らは一旦高さ20キロメートルまで気球を揚げてから、落ちてくるタイミングで観測をしていました。上昇時はどうしても気球が通った後になるので、少し大気が乱れているのですよね。彼らはそれを避けて、できれば乱れのないデータを測定したいので、下降時に観測していました。また、水蒸気ゾンデの観測では、気球の表面から蒸発する水蒸気を避けるために、風船部分と観測装置を長い紐でできるだけ離して測定することもあります。
新しい気球観測への挑戦
ー63次隊と65次隊ではスーパープレッシャー気球を飛ばしたそうですね。どんな観測ができる気球ですか?
スーパープレッシャー気球とは、数ある気球観測の中でも特に長期間にわたり上空に滞在することができる気球です。普通のゴム気球は2時間くらい揚がったら、膨らみすぎて破裂して落ちてきて終了します。スーパープレッシャー気球は、薄いポリエチレンフィルムでできていますが、ある程度まで膨らんだらそれ以上膨らまず破裂することもありません。長ければ同じ高さを100日以上飛び続けることができ、気温や気圧、風速など長期間のデータを測定できます。
ー見失うことはないのですか?
GPSがついているので、7分半に一度位置情報が届きます。今までも見失ったことはないのですが、動力源はなくひたすら風に流されるだけなので、コントロールはできません。私たちの気球は高さ18キロメートルくらいを飛びます。国内では飛行機などとぶつかる可能性があるため、南極でしか飛ばすことができないのです。もし何かにぶつかりそうになったり、南緯60度を越えて北に行きそうになったりしたら国際航空法の規定で観測を中止しなければなりません。気球の上部にカッターがついているので、そのカッターでフィルムを切ることでその場で落とすことができます。
ー落とした気球は回収するのですか?
南極ではほぼ無理ですね。基本的には使い捨てになります。ゴム気球で使われるゴムは天然ゴムなど、自然や土に還ることのできる分解性の素材を使っています。微生物の少ない南極で分解が進むのは時間がかかるかもしれませんが(笑)。
ースーパープレッシャー気球を飛ばすためにどのような下準備をしましたか?
風船部分だけでも10メートルくらいあり、その下に15メートルの紐で観測装置をぶら下げます。国内で練習する際には、天井の高い体育館を借ります。とはいえ15メートルくらいしかないので、ぶら下げる紐は短くして、膨らましてから1メートルくらい飛ばす練習はしました。私自身は気球作りの専門家ではないので、気球自体の製作は専門の業者さんにお願いしています。装置はまた別の会社で製作してもらい、いくつものメーカーの技術者や研究者と一緒に開発をしていました。
実はこういう気球があるから使ってみない?と声をかけられてこのプロジェクトを引き受けたのですが、実はその時点で全く気球が完成していなくて(笑)。むしろ気球づくりのために予算などを確保することから始まって、2018年頃からずっとお金の心配をしてきました。開発には技術力だけでなく予算も必要ですからね。
ー長期間飛ばすための技術開発が大変なんですね。
まだ3日間しか飛ばせていないのですが、データはしっかり取れました。やはり面白いデータが取れました。同じ高さの連続したデータで、その間の気温や風の変化がわかります。私の研究対象のひとつである大気重力波も見られました。
小さくても重要な大気重力波
ーそもそも重力波とはなんですか?
空気のかたまりを上に動かすと、気圧と温度が変化し、自然と元の位置に戻ろうとする。その繰り返しの動きや振動を大気重力波と呼んでいます。宇宙空間などの重力自体がゆらぐ重力波と区別するために“大気”とつけています。大気重力波は周期や波長が短く観測が難しいといわれています。また天気に影響するような低気圧や高気圧に比べても影響が少ないのです。そのため、昔は重要とは考えられておらず、観測がおこなわれてきませんでした。しかし近年、大気重力波は小さいながらも運動量をほかの場所に運び、大きな地球全体の大気の流れ(大気大循環)に影響していることがわかってきました。これをしっかり調べなければ気候変動の予測もしっかりできない。そこで、大気重力波の研究が重要視されるようになってきたのです。
ー大気重力波を南極で観測する意義は?
南極は大気重力波が世界の中でもかなり活発な場所です。ですが、観測データが少ないのです。気候変動の予測に使われるモデルを見てみると、モデルによって南極の重力波のばらつきが大きいのです。しかし、南極のデータが少なくて何が正解かわからない。まずはしっかり観測することから始めようと考えています。
ー現在、3日間のデータが測定できたとのことですが、どれくらいの期間を目標にしているのですか?
ひとつなぎのデータとしては少なくとも10日間は欲しいですね。いつどこにどれだけ重力波が出ているかは予測できません。なるべく長い期間のデータが取れれば、細かな変化もわかりますから。同時に飛ばせばより多くのデータが取れますが、飛ばすこと自体も南極では人員や機材などの制限がありハードルが高いんです。
そもそも南極に行くまでに1ヶ月かかりますからね。現地で1〜2ヶ月観測したとしても、夏の期間しかできません。次に観測できるのは早くても1年後。ただ飛ばすだけではない、南極での観測はひとつのサイクルが長く、難しい点だと思います。
ー南極での予想外のトラブルはありましたか?
63次隊で2回起こったのが、飛ばす直前に通信途絶になったことです。原因は静電気でした。また65次隊では観測装置のソフトウエアにバグがみつかり、回路にも問題がみつかって現地で改修することになりました。私は全く得意ではないので、できる方にお願いしたのですが。南極ではさまざまな技術を持っている方がチームにいるので、その点はありがたいですね
基礎を極めて研究する
ー南極での調査には何度も行かれていますよね?
私はできれば南極に行きたくないんですよ(笑)。自分はデータ解析屋だと思っています。解析が中心にあり、そこから気球を飛ばしたり、シミュレーションをしたり、理論を考えたりすることが仕事です。昔から、もし飛ばしてくれる方がいたらお願いしたいと思っています。
大学院生の時、指導を受けたい先生がたまたま極地研に赴任されたのです。その時点で、南極に行くつもりは全くありませんでした。でもここに就職してしまったので、南極に行くことになったのです。53次隊と54次隊では南極昭和基地大型大気レーダー(PANSYレーダー)の設置をおこないました。人生で全くやったことのない土木作業をしました。1ヶ月で体重が6キロも落ちるほどハードでした(笑)。
ー気球観測に興味を持ったきっかけは?
大学3年生の時、たまたま掲示板で気球観測のお手伝い募集を見て参加したのです。滋賀県にある京都大学が所有している MUレーダーという大気観測用大型レーダーの観測所で観測をしました。その時に初めてオゾンゾンデ観測をしました。4年になりそのデータを解析しているうちに面白いなと感じて、気球観測の研究の道に進むことになったのです。
ー幼少期から研究者になりたいと思っていましたか?
宇宙に興味はありましたが、研究者という職業は意識していませんでした。ただ、ホーキング博士が好きでよく彼の本は読んでいました。進学先を選ぶ際にも、宇宙は興味はあるけど、星には興味がないので、地球惑星科学専攻に進もうかなという程度でしたね。企業で働くのはあまり向いてなさそうだなと思っていたのと、就職氷河期だったこともあり、大学院に進学することを選びました。
ー研究者になってみてどうですか?
最近思うのが、昔の時代の浮世離れした学者然としたスタイルではやっていけないなと(笑)。少なからず、事務処理能力がないと生きていけません。よほど研究の能力が突き抜けていたらなんとかなるかもしれませんが。予算管理や共同研究者とのやりとりも多いですから。また、学生指導についても大変です。みんなとても真面目なのですが、こちらの思った通りにはならないですよね。
ー大気研究の面白いところは?
中層大気で一番ドラスティックな成層圏突然昇温*という現象があります。1950年代に発見されてからずっと研究が続いているのですが、現在も研究が盛んです。まずどんな現象が起きているのかが研究されて、メカニズムを解明し、モデルで再現するということがおこなわれて、現在は成層圏でないエリアにどのように影響しているかを調べています。また予報に絡んだ研究も多いです。人の生活にすぐ影響を与えるような研究ではないかもしれませんが、やってもやっても疑問が出てくる面白いテーマです。
また大気重力波は大気の力学の話ですが、中層大気は力学だけをやっていてもわかりません。例えば、南極のオゾンホールはオゾンの話なので化学を理解していなければわかりません。さらに、オゾンは太陽からの紫外線を吸収することで温度を上げます。その放射も理解する必要がある。さらに温度は風と関連しているので、力学も必要。化学と放射と力学のすべてを理解していないとわからないのです。
* 成層圏突然昇温とは、地上から20〜50キロメートルほどの高さ(成層圏)の気温が、数日で数十度も上昇する現象。極域上空で成層圏突然昇温が発生すると、成層圏の「極渦」と呼ばれる極域を取り囲むような空気の渦が崩れ、寒気が極域を越えて流れ出すため、対流圏の気象(いわゆる天気)に影響を及ぼす。
ーなるほど、異なる分野を極めないといけないのは大変ですね。
私は対流圏でおこる雨の現象、つまり水が苦手で(笑)。だから対流圏を避けて中層大気に入ったわけですが。熱圏にいくと電磁気についての知識が必要。学生時代に脱落しました。自分が得意なことで、誰もやっていないところを探したのです。
ー研究をしていて大事にしていることは?
学生指導の際にも意識していることですが、基礎をしっかりやりましょうと言っています。基礎ができていれば、大抵のことに応用が利きます。普通に教科書をしっかり読み、自分の興味がある研究に応用する経験を積み重ねていく。もちろん、自分で考えることが大事です。先生の言われた通りにやっていれば、なんとなく最後までいけてしまうのですよね。でも研究者になるには、問題設定からしっかりと自分でやることが大事です。
写真:国立極地研究所アーカイブ、取材・原稿:服部円