写真1:重量600kgを越す海底コアラー

 今から8年程前だったろうか。国立極地研究所(以下、極地研)の研究者から「“しらせ”で海底コアを掘削出来ないか?」と相談を受けた。“しらせ”とは、ご存じ南極観測船「しらせ」のこと。海底コアとは、巨大な金属のパイプ:海底コアラー(写真1)を海底に突き刺して掘削された地層サンプルのことである。私の所属する産業技術総合研究所地質調査総合センターは国を代表する地質の研究機関であり、私は海底堆積物を専門とする研究者である。そんな理由でこのような相談があった訳だが、私にとっては願ってもない幸運な話であった。南極に行くことは、高校時代からの私の夢だったのである。なので、この相談に迷わずこう答えた。「出来ます!」

 とは言ったものの、「“しらせ”で海底コアを掘削する」・・・このミッションは思っていたほど簡単ではなかった。重量600kgを越す海底コアラーを「しらせ」甲板の限られたスペースと設備を駆使して、なおかつ極寒の環境と厚い海氷域で安全にオペレーションする方法を検討する等、解決すべき課題が山積みであった。なにより、「しらせ」を始め歴代の日本の南極観測船において海底コアの本格的な掘削調査は行われておらず、その実績はゼロに近かったのである。なので、ノウハウは地質調査総合センターの運用手順をベースに構築し、2019年、全ての準備を整えて4名の掘削チームで第61次南極地域観測に挑んだ。

 向かったのは、南極沿岸のトッテン氷河末端域であった。この海域は、厚い海氷に覆われていたためにこれまで十分な調査が行われておらず、謎に包まれていた。世界でも有数の砕氷能力を持つ「しらせ」は、このような厚い海氷でも進むことが出来る優秀な砕氷船である。厚い氷を切り開いて進む砕氷航行を繰り返し、やっとのことでたどり着いた前人未踏の調査海域はやはり海氷に覆われていた(写真2)。

写真2:海氷域を進む南極観測船「しらせ」。

 ところが、この海氷が意外にも掘削作業に有効に働いた。「しらせ」にはスラスターと呼ばれる船位を維持する装置が付いていないために風や海流の影響で簡単に船が流されてしまう。水深400mよりも下の複雑な海底地形の中からピンポイントで海底コアラーを突き刺す必要のある掘削調査には致命的である。しかし、海氷に閉じ込められている状態だと風や海流による移動も最小限で済み、安定した掘削作業が出来たのである。嬉しい誤算だった。逆に海氷が無い場所だと船が移動してしまい、正確な位置での掘削が難しいだけでなく、海底コアラーが斜めに刺さる、あるいは流れてきた海氷がワイヤーに引っかかるなどの危険も伴った。

「しらせ」乗組員の手により慎重に海底まで投下される海底コアラー。左下のオレンジ色のヘルメットが私。

 ともあれ、最終的に計12地点で海底コアが採取された。これによって、日本の南極観測船を用いた初の本格的な海底コア掘削調査という託されたミッションは完了し、今後の調査にも道筋を付けることとなった。ところで、そもそも何のために海底コアを南極で採取する必要があったのか?海底コアの地層サンプルには、過去、現在、そして未来の地球環境を知る手掛かりが隠されているのである。それについては次回「海底の地層を掘る!隠されたメッセージ」で解説することにしよう。

<次回は、2024年7月30日に公開予定です。>

板木拓也
板木拓也 産業技術総合研究所 地質調査総合センター 研究グループ長
北海道札幌市出身。大学時代は探検部に所属し、尊敬する有名人は植村直己とフリチョフ・ナンセン。将来は探検家になるという夢は儚くも破れ、「山や海をフィールドとする自然科学は探検に似ている・・」との思い込みで路線変更、地質学の世界へ。専門は、海洋地質学、微古生物学、古環境学。