採泥器により採取された海底表面の堆積物と生物。

前回までの連載で、海底下の地層をどのように採取するのか、そしてそれをどう分析するのか解説した。そのような海底下の深い場所にある地層も、もともとは海底面上に泥・砂・レキが堆積し形成されたものである。そのため、海底コアが採取された海底面の環境を知ることは、海底コアから過去の環境を読み解く上で必須となる。しかし、南極のような未固結の柔らかな泥の海底では、海底表面の堆積物を乱さずそのままの状態で採取するのは非常に難しい。そこで「採泥器」の出番である(写真1)。採泥器は、いわば巨大なクレーンゲームである。海底に到着すると、グラブと呼ばれる巨大なバケット(ショベルカーの先端についているバケットが向い合せについていると想像してほしい)が閉じ、海底の表面から30㎝ぐらいの深さまでの堆積物を乱すことなくそのまま船上まで持って帰れる。

写真1:木下式グラブ採泥器。

グラブの上にはフタがついており、船上でその蓋を開くと、まさに海底を直接覗き見られる(写真2)。この方法で、海底表層の堆積物を乱さず採集することができ、過去からつながる現在の環境を詳細に研究することができる。これまでの南極地域観測では木下式グラブ採泥器やスミス・マッキンタイア採泥器と呼ばれる採泥器を、南極観測船「しらせ」から深海に降ろし、海底表面の泥を採泥してきた。それらの試料を分析することで、東南極のリュツォ・ホルム湾やトッテン氷河沖の現在の海底環境を調査し、過去の環境を解明する足掛かりとしてきた。

写真2:採泥器により採取された海底表面の堆積物と生物。

採泥器がすごいのはそれだけでなく、海底表面にいる生物がその暮らしぶりがわかる状態で生きたまま採集されることだ。将来、化石になる生物も生きた状態で観察できる。その中で、私が注目しているのは“サンゴ”だ。これまで南極地域観測隊に2回参加させていただいたが、私の専門はサンゴである。サンゴの研究者が、なぜ南極に行くのか?サンゴといえば熱帯のサンゴ礁のイメージが強いので、一聴すると不思議に思う。サンゴ礁を主に作っているのはイシサンゴと呼ばれるグループのサンゴである(写真3)。そのイシサンゴの半分はイメージ通り、サンゴ礁などの暖かい海に生息している。しかし、残りの半分は深海や冷たい海に生きている。驚くべきことに南極にも多数のサンゴがくらしている。そう、私は深海や冷たい海に生きるサンゴの専門家なのだ。

写真3:南極で採集したイシサンゴ。

中学校の理科で習う示相化石にサンゴがよくでてくる。サンゴ化石が地層から採集されると、その地層ができた当時は、あたたかく浅い海だったというやつである。しかし、これは必ずしも正解ではない。マイナス1.6℃の南極海にも水深6,000mを越える超深海にもサンゴは生きている。教科書を書き直すことが私の長年の野望であることは言うまでもないが、サンゴ礁に生きるサンゴであっても、南極に生きるサンゴであっても、サンゴは過去の環境についてこの上ない情報を教えてくれる。イシサンゴの骨格は炭酸カルシウム(CaCO3)でできているが、骨格を作るとき、海水中に溶けている様々な元素を少しずつ骨格に取り込む。例えばストロンチウムやリチウムである。それらの骨格中に取り込む量は海水温によって決まる。つまり、骨格を化学分析して、それらの量を測定すると、過去の海水温がわかるのである。また、南極のような極めて冷たい海に生息するサンゴは数百年生きると言われるほど長寿で、生きている間は年輪を作りながら骨格が少しずつ付加成長していく。そのようなサンゴの骨格を測定すると、数百年間の海水温の変動を連続的に読み解くことができる。サンゴの小さな骨格には地球の歴史が刻まれているのである。

海底の堆積物はゆっくりと少しずつ積もっていくため、長期間にわたる地球環境のダイナミックな変動を読み解くことができる。だが、近過去から現在につながる地球温暖化などの研究では年単位でその変化を細かく追う必要がある。しかし、堆積物では時間解像度が圧倒的に足りない。そこで、サンゴの出番となる。私は第61次および第65次南極地域観測隊に参加し、南極でサンゴの採集に挑んだ。非常に困難な道のりではあったが、多くの人の協力をいただき、分厚い定着氷に阻まれた深海から生きたサンゴを数多く採集することができた。サンゴの研究を始めた大学4年生からの夢を、自分の掌の上に載せることができた瞬間であった。これから、それらのサンゴを分析し、産業革命以降の地球温暖化が南極氷床融解へどのような影響を与えてきたのか調べる予定である。このように海底表面の堆積物とその上に生きる生物を採取・分析することで、過去と現在をつなぎ人類の未来に貢献するのである。

徳田悠希
徳田悠希 公立鳥取環境大学 環境学部 准教授
兵庫県加古川市出身。大学時代は音楽サークルに所属し、デスメタルを嗜む。尊敬する有名人はスティーヴン・ジェイ・グールドとチャック・シュルディナー。将来は研究者かミュージシャンになるという、どちらに行ってもいばらの道を突き進みなんとか片方の夢をつかんだ。専門は、古生物学、深海生物学。