例年2月から翌年1月までを昭和基地で過ごす、越冬隊。越冬隊員たちは、10ヶ月もの間、約30名で、過酷な冬の環境や太陽の昇らない極夜を経験しながら観測を続けます。越冬隊に計4回参加し、うち2回は越冬隊長を務めた樋口和生元南極観測センター設営業務担当マネージャーに、越冬にまつわるエピソードを伺いました。

- 樋口和生(ひぐち・かずお)
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元南極観測センター 設営業務担当マネージャー。札幌市在住。山岳ガイドの経験を活かして2008年から南極地域観測隊に参加。その後16年間南極観測に携わり、2024年7月からフリーランス。(公社)日本山岳ガイド協会認定山岳ガイドステージI。北海道山岳ガイド協会顧問。北大山の会会員。
山岳ガイドから越冬隊の隊長へ
―どのような経歴で越冬隊に?
北海道で山岳ガイドをしていました。年間200日くらいお客さんを連れて山に行っていたんですね。ガイドの仕事はやりがいもありましたし楽しかったのですが、山岳ガイドの職域を広げたいなと思っていたところ、北大の山岳部つながりで、国立極地研所元所長の白石和行さんに会う機会があり、「野外経験のある隊員が少なくなっていて現場が危険な状態になっている」という話を聞いたんです。私は山岳ガイドの事務所を構えて、スタッフも抱えていましたが、南極はいつか行ってみたい場所のひとつでしたし、山岳ガイドの経験を南極の現場にも活かせるんじゃないかなとその時思いました。
その後、カムチャツカでの氷河調査のサポートをしたり、第49次南極地域観測隊の冬訓(冬期総合訓練)に講師として携わったりなど、3年かけて準備をし、50次隊のフィールドアシスタント(現在の野外観測支援)に応募して運よく採用され、南極の地を踏むことになりました。
―フィールドアシスタントとしては、どのようなことをされたのですか?
南極って、とにかく自然が厳しいので、野外での活動には常に危険がつきものなんです。フィールドアシスタントは、野外行動全体の安全管理を担う役割です。万が一、事故が起きた時は自分たちで対応しなきゃいけないので、レスキュー隊の編成をしたり、野外行動に必要な知識と技術の訓練をしたり、スノーモービルや雪上車を使って海氷上を移動する際のルートを作成したりしました。
野外で事故が起きた時に備えて、例えばロープワークの技術とか、隊員に習得していてほしいことがあるんですが、訓練内容はフィールドアシスタントの口伝で引き継がれていて体系的ではなかったんですね。これではやはり不安だということで、50次隊でカリキュラムを作りました。最初は思ったように機能させられなくて、やり残して終わりにしたくなかったので昭和基地で越冬中に52次隊に応募しました。
カリキュラムは、51次隊で札幌の山岳ガイドの友人が引き継いでくれたので改良していくことができました。私は2010年の3月に日本に帰ってきて、同じ年の11月にまた52次隊として出発し、カリキュラムを引き継いで完成させました。今もそのカリキュラムは続いていて、南極で野外行動をする上での基礎になっています。

―その後は57次隊、64次隊で越冬隊長として再び南極に行かれましたが、隊長の仕事とはどのようなものなのでしょうか?
隊員の安全を守り、各隊員のミッションを達成できるようにサポートする業務。一言で言えばマネジメントですね。南極の気象や海氷状況を踏まえて、隊員が活動を安全におこなえるかどうかの判断や、野外活動のサポート、事故の防止策の実施、ブリザードがひどい時は外出を制限するなど、さまざまな仕事があります。
越冬隊は30名前後で構成されます。64次隊では、10人が観測部門、17名が設営部門、そして隊長を入れた28人でした。設営部門のメンバーが過半数ですが、モニタリング観測隊員のように観測の機器のメンテナンスとデータの取得を業務とする観測部門のメンバーもいます。研究者もいますが、技術者的なメンバーが多いですね。当然野外行動に慣れていない隊員も多いので、そのサポートや技術教育などもおこないます。
大切なのが隊員とのコミュニケーションです。7月には、極地研内に隊員室が開設され、設営部門の隊員や観測部門のうちのモニタリング観測隊員が極地研に集まって準備を始めます。また、月に1回程度全体会合を開催して、連携を確認します。そうやって接しているうちに、隊員一人ひとりのひととなりがわかってきます。実際は、昭和基地に着くまでの「しらせ」の船の中とか、越冬が始まるまでの夏期間の作業の合間で、徐々にわかってくるような感じですね。

―南極での越冬生活について教えてください。
南極では、5月末から7月半ばまでが太陽が昇らない極夜で、11月末から1月半ばまでが太陽が沈まない白夜です。日照時間が大きく異なるんですね。そのため、4月から8月までは冬日課といって9時〜17時が勤務時間に、残りが夏日課で8時〜17時が勤務時間として設定されています。その時間に合わせて朝、昼、夕の食事があり、昼食と夕食は全員が揃って食べます。毎日夕食後には人員確認を兼ねてミーティングをおこないます。


例えば気象隊員は5人いますが、三交代制で夜勤もあります。365日24時間、ずっと気象観測をしています。オーロラを観測しにきている人は、暗い時期はオーロラが出るのでずっと観測しています。また、インフラ面で言えば、昭和基地にとって発電機はライフラインの中心です。発電機の余熱を利用して雪を融かして造水したり、基地内の暖房を回したりしていますから、故障すると数時間で基地中が凍り始めてしまいます。なので発電機担当の人は勤務時間はありますが、1年間ずっと気が休まりません。

それぞれが重要な仕事を担当していますが、その中でも「みんなでやらなければならないこと」のひとつに、ブリザードが明けた後の除雪があります。もちろん、仕事の状況によっては除雪よりも優先すべきことがある人もいるでしょう。でも、雪が積もったままだと仕事自体ができないこともあります。だからこそ、みんなが互いの仕事の状況や優先度を理解し合って、手が空いている時には助け合う、という意識が大切です。

―研究や調査以外にもイベントはあるのでしょうか?
隊員の誕生日を祝ったり、季節に合わせてイベントを開いたりします。中でも極夜の一番暗い時におこなうミッドウィンターフェスティバル(MWF)は一番大きなイベントです。日本だけでなく、外国の全ての越冬基地でもおこなわれます。昭和基地では、模擬店を出したり、ゲームをしたり、みんなでパレードをしたりします。調理人たちはMWFに合わせて日本から特別な食材を仕込んでいて、フレンチのフルコースや和食の会席料理を出してくれます。やはり、4月の末くらいから明るい時間が少なくなって極夜に向かっていくと、気持ちが沈みがちになってしまうんですよね。先人の知恵だと思うのですが、共同作業をするうちに気持ちが晴れて、みんなの結束も高まります。


―トラブルや予期せぬことも多くありそうですね。
毎日のように状況判断を迫られることはありますよ。昭和基地は南極大陸ではなく海に囲まれた島に位置しています。冬になれば海が凍るので、昭和基地から外に出る時は海氷の上をスノーモービルや雪上車で行くのですが、57次隊の時も64次隊の時も海氷の大部分が流れてしまったんです。
大陸に上がるルートの海氷だけ残ってはいたのですが、もし大陸にいる時に海氷が流れてしまったら隊員が孤立してしまいます。帰ってこられず、食料が尽きてしまえば命の危険もあります。そこで、極夜が明けて氷が安定するまでは調査をやめよう、という判断をしました。
部門によっては、野外に出て観測する計画を立てているのですが、衛星写真や国内の専門家から送られてくる情報で状況を分析して、自分の考えをきっちり隊員に伝えます。この時は気を遣いましたね。

隊長としての心構え
―隊長として心がけていたことは?
まず一番は安全第一。64次隊の時も、出発前から帰国直前まで折に触れて伝えていたのが、「全員が笑顔で家族のもとに帰る」ということ。また言ってると思われるぐらい言っていたと思います。また、困りごとがあれば相談してほしいのですが、最初のうちはお互いに慣れていないので、できるだけこちらから隊員に話かけるようにしていました。
安全面に関しては、絶対に譲れないところは譲らない。いくら文句言われようがダメなものはダメと言う。線引きはきっちりしていましたね。難しいですよ。そんな完璧な人間なんていないし、私はまだまだ未熟者だから日々反省していました。
研究観測はもちろん大事ですが、大前提は安全第一。基本的には隊員の自主性に任せようと思ってやってましたが、いくらいい研究や観測、設営の仕事ができても、怪我をしたり、万が一のことがあったりしてはいけませんので。
― 南極は、やはりシビアな場所なんですね
はじめのうちは、みんな南極に行ってウキウキしていますし、夏の間は太陽が沈まないのでいくらでも働けてしまう。でも、2月の半ばぐらいに「しらせ」が去って、30人前後の越冬隊だけが取り残されると、いよいよ冬の準備が始まります。そして3月になると、これまで非日常だった南極の生活が“日常”になってくるわけです。するとだんだん慣れてきて、小さいヒヤリハットが増えてきます。
昭和基地から20kmほど離れた大陸上にS16という地点があるのですが、ここは内陸に行く準備をするための中継地点のような場所で、雪上車でも1日かかります。そこで作業をする時は、57次隊では5日間の作業の場合、1週間分の予備食をプラスして持っていくことにしていました。
ある時、極夜が明けて海氷がしっかり張ってきたタイミングでS16に出かけたチームが、予備食を基地に忘れて行ってしまったんです。基地にいた隊員が、忘れたまま出発したことに気がついていたのですが、隊員同士で大丈夫だろうと話をつけて、私に報告をしなかったんですね。私は後から聞いて激怒しました。「もし吹雪いて大陸に閉じ込められたらどうするの?」と。
57次隊では、極夜前の野外経験があまりできていなかったことも原因ではありますが、野外での危機管理がなっていないという話なんです。無線を通じて現場にいる隊員を叱っても仕方ないので、戻ってから毎晩ワークショップを開きました。何が原因だったか、これから自分たちはどうしていくか、猛反省会をしてもらいました。グループディスカッションを通して、隊員が自分事として考えるいい機会になったと思います。

―隊員のみなさんは南極で余暇はどのように過ごしているのでしょうか?
人によって違いますが、ヨガをやったり、写真を撮ったり、好きなことをしていますね。トランポリンを持ってきた隊員もいました。私は本を読んでいました。基地には本や漫画がたくさんあるので、それを読んで過ごすのもいいですし、インターネットで電子書籍が買えるので、新刊本も読むことができました。
近年は、通信手段がよくなったので、基地の外とのコミュニケーションもしやすくなりました。50次隊の時は、インターネットはありましたけど、回線がそんなに太くなかったので動画は見れませんでした。今では家族とテレビ電話をしたり、オンラインでプレゼントを贈り合ったりと、気持ち的な閉塞感はかなり緩和されているのではないでしょうか。
懸念としては、以前は昭和基地内で起こった出来事をみんなで話し合いながら解決していたことが多かったのが、通信技術の進歩によって夏隊のメンバーや友人といった基地の外に相談するようなことが増えたこと。一時は気持ちが落ち着きますが、目の前の問題は解決していないということが増えたように思いますので、少し心配です。例えるなら、仕事帰りに焼き鳥屋さんで愚痴っても仕事の問題は解決しない、みたいな感じですかね。

越冬隊を目指す人たちに向けて
―越冬隊員になってみたいという方に向けてメッセージをお願いします。
やはり、南極の自然は素晴らしく、いい経験になると思います。ただし危険はすぐ近くにあるので、自分を過信せずに謙虚な気持ちで自然と向き合ってほしいですね。
そして、お互いに助け合う、共助が大切です。自分の専門以外の役割にも積極的に取り組み、他の人といい距離感を保ちつつ、お互いをリスペクトし合いながら過ごしてほしいですね。
南極では、重機や大きな雪上車を運転することもあります。国内ではできない経験がたくさんありますが、常に自分は素人だよと思いながら、安全第一は忘れずに。もちろん自分の仕事については、誇りを持って、誰にも負けないぐらいのつもりで取り組んでいただきたいですね。

写真:国立極地研究所、取材・原稿:小林昂祐、編集:服部円