マイナス32.6度
1997年1月16日、マイナス32.6度、晴れ、5m/s。ドームふじ基地に到着して雪上車の外に出た瞬間、気温の低さに緊張しました。「大変なところに来てしまった」と。今見返すと前日の気温はもっと低かったのですから、この時これからの1年間を覚悟したのでしょう。4月8日、気温はマイナス70度を記録し、何度目かの記念撮影をしました。冬に向かって気温が10度下がるごとに屋外でアンダーウェア1枚での集合写真です。1年間の最低気温は7月8日のマイナス79.7度でしたので、この日が最後の集合写真になりました。10月になると気温は次第に上昇していきました。4月から9月の間の低温の中心時期は明瞭ではありません。コアレス・ウィンター(coreless winter:中心のない冬)と呼ばれます。ドームふじを含む南極内陸の気候の特徴です。
冬の屋外でできること
マイナス70度を下回っても屋外での作業はできます。観測だけでなく、生活を維持するための作業をやらなければなりません。燃料補給では重さ200㎏を越えるドラム缶を人力だけで転がして基地内に運び入れます(写真1)。レクリエーションではバーベキューやドラム缶風呂(写真2)、それにソフトボール(写真3)、ラグビーのゲームで楽しみました。バーベキューでは飲み物の表面にすぐに氷が張り、ドラム缶風呂では湯の中と外で100度近い温度差がありました。ソフトボールを打つたびに金属バットが凹むのです。ボールはソフトではなくなっていました。低い気圧による低い酸素濃度を反映して身体は直ぐに酸欠になりますから、ラグビーでボールを抱えて全力疾走してもジョギングの速さでした。タックルされて倒れる様子はスローモーションです。日本では経験しないことばかりでした。



星のささやき
気温が下がった冬の日、屋外を歩いていると吐息から音が聞こえることに気が付きました。炭酸水のシュワーという音に似ています。それ以来、耳を澄ませるようになりました。帰国してドームふじの越冬経験者の何人かにこの話を持ち出したところ、気が付いていた人はいませんでした。いつのことだったか、極地研究所の別の部門の研究者から、「シベリアでもこの音が知られていて、知人が詳しく聞きたがっている」と紹介されたことがあり、この音が世界で静かに知られていると知りました。今回の記事を書くにあたり、改めてインターネットで文献を探したところ、国内で丁寧なブログを書いている方を見つけました(*)。その音は、シベリアでは“whisper of the stars”(星のささやき)という言葉とともに古くから知られています。世界にはこの現象を体験したくて現地に赴く人もいらっしゃるようです。学術書には現象の記述がごくわずかあるだけで、原因を追究した記事には出会っていません。
最後に音の発生源について想像を巡らせます。“星のささやき”の音源として、氷晶粒子が触れ合う音と想像した人もいらっしゃるようです。私の考えはこうです。吐息には体温36度において空気が含むことのできる最大量(相対湿度100%)の水蒸気が含まれています。それは約60 hPaの圧力です。その水蒸気のほとんどは口から出て低温の外気と混合した途端に氷の結晶に変わります。このとき水蒸気が占めていた体積は約1700分の1になります。ドームふじの地上気圧は約600 hPaですから、局所的に大気圧が10%ほど急激に減ります。そこに周囲の空気が一斉に押し寄せます。そして、今度は圧力過多になりまた戻ります。この空気の行き来は繰り返し、周囲に疎密波として広がるはずです。それは音波に他なりません。炭酸水では表面に上がってきた泡の中の気圧は液体の表面張力の分だけ大気圧より高くなっています。泡が割れると一気に空気を押しのけて周囲に広がり今度は圧力が減り過ぎて元に戻ります。同じシュワ―という音です。
でも、“星のささやき”と呼ぶだけで十分ですよね。
* 星のささやき—その1.ロシア語編(http://hoshi-biyori.cocolog-nifty.com/star/2009/01/—-3cc4.html)
-256x256.jpeg)
- 平沢尚彦 国立極地研究所 気水圏研究グループ 助教
- 学生時代を過ごした筑波大学と名古屋大学では熱帯の気象と梅雨を研究しました。博士の学位は極地研究所に就職してから始めた南極に昇温と降水をもたらす気象システムに関する研究で北海道大学から授与されました。今、極地研究所で30年以上を過ごしました。5回の南極は1997年のドームふじ基地での越冬で始まって2018年の昭和基地での越冬で終わりました。南極の降雪観測を試験するための北海道陸別町での観測は16年目に入ろうとしています。