ふわふわと風にまかせてただよう風船を眺めていると子供の頃を思い出すが、観測のための気球はすこし違う。手を離れて大空に吸い込まれていくのは同じだが、飛ばすタイミングや飛ぶ高さをあらかじめ調節したり、いろいろなことを計算にいれたりと、科学的な目的をのせて空へ飛んでいく。気球を飛ばす現場と、気象観測の奥深さを綴ったエッセイ。
バチバチバチバチ。第十居住棟の壁を叩くステイの音で目を覚ます。窓の外は真っ白だ。今日はゾンデ番、ちょっと憂鬱になる。
昭和基地の気象観測は24時間休みなしだ。このため、気象庁から派遣されている隊員が、日勤、夜勤、ゾンデ番、事務日勤の業務を交代で担当している。私が初めて観測隊に参加した第30次隊では気象庁から4名の気象隊員が昭和基地に派遣されており、気象隊員は一週間交代で日勤、夜勤、ゾンデ番、事務日勤をこなした。日勤、夜勤では地上気象観測やオゾン観測、日射観測を実施し、ゾンデ番は高層気象観測の気球を飛揚させるため、定刻の現地時間の3時、15時の前後に、観測機器(ゾンデ)の準備、気球へのガスの充填、そして飛揚を担当する。うまく飛揚させることができても、気球が所定の気圧(100hPa、高度15000m程度)まで到達しないと観測はやり直しである。制限時間(定時からおおよそ2時間)内であれば何度でも飛揚にトライすることとなる(再トライすることを、「復行」と呼んでいる)。
ゾンデの不調、気球の早期破裂等復行にはいくつかの原因があるが、一番多いのは何といっても強風による飛揚の失敗である。風のない、天気の良い日の飛揚作業は楽しいが、風が強いと大変である。殆どの気象隊員は国内で飛揚を経験しているが、身体を飛ばされそうになりながら気球を飛揚させるのは昭和基地ならでは。最初は、平均風速で20m/sを超えると失敗することが多いが、慣れてくると25m/sくらいまでならかなりの確率で飛揚させることができるようになる。とはいっても実際は大変な作業である。飛揚準備のできたゾンデと気球を懐に入れ、気象棟と放球棟(気球にガスを充填し、飛揚させる場所)との間に張ったライフロープを手繰りながら、何とか放球棟にたどり着く。放球棟の中に吹き込んでいる雪を掻きだしたら、気球を充填台にセットしてヘリウムガスを充填しつつ、ゾンデの最終動作確認をする。気球が予定の大きさになり、ゾンデを結び付けたら、いよいよ飛揚である、まず、放球棟の扉の上部についた雪を落としてから扉を全開にし、素早く充填台に駆け戻って、台の上にあおむけに横たわる。左手でゾンデを抱え右手で気球の根元をしっかりと握りしめて。そして、ひたすら風を読む。ブリザードのさなかでも、風には強弱がある。風のリズムを読み終わったら、風の弱くなるタイミングを狙って、勢いよく飛び出し、風を背中から受けながら柔道の背負い投げのように気球をゾンデ毎放り上げる。大変厳しいが、南極で気象観測をしていると実感できる一瞬でもある。
63次隊からは基本観測棟の一階から直接ゾンデを飛揚できるようになったが、それでも飛揚作業には危険がつきもの。くれぐれもご安全に。
- 宮本仁美(みやもと・ひとみ)
- 国立極地研究所 南極観測センター 企画業務担当マネージャー。1979年気象庁入庁。稚内地方気象台、高層気象台、気象庁本庁、静岡気象台長等を経て、気象衛星センター所長で退職し、2020年4月より現職。昭和時代に昭和基地に入った最後の隊である第30次隊、第37次隊で越冬(気象担当)。第52次隊では副隊長兼越冬隊長を務めた。